石屋のないしょ話

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正面通の正面には・・・

京都市東山区の六条通と七条通の間を東西に走る通りに「正面通」という変わった名前の通りがあり、この通りと鞘町通が交差する一帯が「正面町」と呼ばれています。

「正面」というからには何かの正面に位置する町のはずですが、いったい何があったのでしょうか?

豊臣秀吉が京都の町を大改革したことは知られていますが、、この「正面町」「正面通」も秀吉の強権的な政策を物語る地名なのです。

秀吉は、死後も神格化されて人々から崇められるようにと、東山三十六峰の一つ阿弥陀ヶ峰の中腹、清水寺こ近くに自分の墓・豊国廟を建てさせ、そこから西方に自分を祀った豊国神社、愛息・鶴松を祀った祥雲寺(のちの智積院)、その西に大仏を安置する方広寺、さらに西方に本願寺に土地を寄進して西向きに阿弥陀堂を建てさせ、一直線上配置しました。

秀吉は奈良の大仏に負けない大仏を建立しようと力を注ぎ、1595(文禄4)年、仏像の高さ約19m、奈良の大仏より大きい大仏を方広寺に完成させました。

そして、この大仏の正面に向かってわざわざ専用の参詣道と参詣橋を作ったのです。そこで、この参詣道を「正面通」と呼び、付近一帯を「正面町」というようになったのです。

ま太閤秀吉の剛腕ぶりがあらわれている地名です。

秀吉が力を注いで作った大仏は倒壊し、今は大仏があった名残の石塁や石塔が残されているだけですが、当時の秀吉の栄華を偲ぶ「正面通」「正面町」の名は、現在にも残されています。

 

ご参考にまでに・・・。