- 石屋のないしょ話
大文字山に広告看板⁈
皆さんは村井吉兵衛をご存知ですか?
村井吉兵衛といえば、京都が生んだ「東洋のタバコ王」です。
タバコが専売になるその前に、日本初の両切り紙巻きタバコ「サンライス」を製造し、東京の「天狗」タバコと派手な宣伝合戦を繰り広げました。
「京都に村井吉兵衛あり」と、そのサクセスストーリーはさぞ有名だったことでしょう。
明治37年(1904)にタバコが専売化され、それから100年の月日が流れてみると、タバコは再び民営化に逆戻り。ふた昔前の歴史を伝えるものも少なくなってはいますが、この村井吉兵衛は東山・如意ヶ嶽の大文字山になんとタバコの大看板を掲げたというのです。
タバコ王村井吉兵衛は、コマーシャルの父というもう一つの顔を持っていたのです。
大文字山の広告大看板は明治28年(1895)、岡崎で開催された第4回内国勧業博覧会にあわせて、会場からの宣伝効果を狙ったものです。一文字が2メートル四方、その文字看板「ヒーロー」「サンライス」を大文字山の中腹に並べて、京都市内のどこからでも眺められるようにしたのです。広告アイデアも気宇壮大ですが、そればかりではありません。
タバコにおまけをつけて爆発的ヒットを呼んだり、派手な新発売キャンペーンを繰り広げたり、懸賞付きタバコを考案したりと、明治中期にあってのその手腕は「近代的広告線での父」と呼ぶにふさわしいです。ここにも京都人のベンチャー気質を見る思いがします。
村井吉兵衛(1864〜1926)は、東山区大和大路正面、耳塚の近くで生まれました。
「太陽がサンサンと東山から昇ってくる不思議な夢を見た。外国製に負けない新しい紙巻きタバコの名前はサンライス。ハイカラを好む時世にふさわしいはずだ。」と、明治24年、国産葉による両切りタバコ「サンライス」を発売しました。当時としては貴重だった風景画や美人画の写真カードをおまけに入れたアイデアがヒットしました。
3年後、今度は日本初の外国葉を使った高級タバコ「ヒーロー」を開発。新発売ののぼりを立てて、洋楽隊の歌と演奏で「ヒーロー、ヒーロー、サンライス」と町を練り歩く、現代でいう派手なキャンペーンを仕掛けました。
そして「ヒーロー」「サンライス」の巨大看板を打ち立てた場所が、大文字山だったというわけです。
これはのちの明治天皇京都入りで、恐れ多いとして姿を消すことになったそうですが、人々の話題になるには十分でした。
明治30年(1897)には、続いてアメリカ製の「バアジン」を懸賞付きで新発売。またまた人気は急騰。アメリカのタバコ会社と資本提携して国際舞台に乗り出す勢いでした。
このような経緯をたどってタバコは国の専売となったのですが、その後の村井吉兵衛は、村井銀行・村井汽船・村井鉱業・帝国製紙などを設立しました。
旧村井銀行祇園支店のアンティークな建物(大正13年建築)は祇園商店街に、村井吉兵衛の別荘兼迎賓館「長楽館」は祇園円山公園に名残をとどめています。
ご参考までに・・・。